彼女の名前は Eva Cassidy といい、アメリカのワシントンD.C. 周辺で活動していたシンガーです(もちろんアメリカ人)。「活動していた」と過去形で書いたのは、Eva は1996年11月に33才の若さで癌で亡くなっています。生前はワシントンD.C. 周辺だけでしか知られていないローカルのシンガーで、全米はもちろんのこと、世界的にも全く知られていませんでした。
Eva が亡くなった2年後の1998年、あるイギリス人が彼の友人である BBC Radio2 のプロデューサーの下へ Eva の音源を持ち込みました。そのイギリス人はプロデューサーに言いました。
「素晴らしいシンガーだから是非聴いてくれ。」
するとプロデューサーは、
「分かった。後で聴くよ。」
と言い、無造作にデスクの上に山積みになった書類の上に置きました。
するとそのイギリス人はこう言いました。
「いや、今すぐ聴いてくれ。」
それでプロデューサーはすぐにその音源を聴くことにしたのです。
プロデューサーはその音源を聴いてビックリし、そしてその素晴らしさに感動したそうです。それが上の動画で歌う、Eva Cassidy の「Over The Rainbow」だったのです。
プロデューサーはすぐに Eva の「Over The Rainbow」をオンエアーする決定を下し、故 Terry Wogan 氏が DJ を務める番組で「Over The Rainbow」が何度も流されました。リスナーの反響は大きく、シングルとして発売された「Over The Rainbow」は瞬く間に全英チャートを駆け上がり、あっという間に全英1位になりました。Eva の音源を集めた CD、「Songbird」も同年に発売され、これも全英チャート1位に輝きました。
BBC のテレビ番組に、「Top Of The Pops」という音楽番組があったのですが、これは全英チャート上位の曲を紹介する番組でした。しかし、1998年当時はまだ Eva が歌っている映像が無く、番組側も困っていました。それから2年後の2000年、アマチュアカメラマンが撮影した、Eva が「Over The Rainbow」を歌う映像が発見されたのです。それが上に掲載した映像です。「Top Of The Pops」は何度もこの映像をオンエアーしました。Eva が「Over The Rainbow」を歌っている現存する映像はこれだけなのです。
イギリスの女性シンガー、Katie Melua はこの頃10代前半で、Eva Cassidy に多大なる影響を受けたと言っており、Eva の音楽に出会わなければ、音楽を始めることはなかったかもしれないとまで言っています。Katie は2007年に Eva とのデュエット曲(もちろんリミックスされている)、「What A Wonderful World」を発売し、この曲も全英チャート1位になりました。そのデュエットが下の動画です。
そして下の動画が、Eva Cassidy が歌うオリジナルの「What A Wonderful World」です。この動画もアマチュアカメラマンが撮影したホームビデオです。
Katie Melua は「Over The Rainbow」もテレビ番組で Eva Cassidy とデュエットしており、それが下の動画になります。
Eva Cassidy の透き通った歌声はイギリス人の心を魅了しました。そして逆輸入という形で全米でも大ヒットし、全世界にその名が知れ渡ることになったのです。自分の音楽が全世界に知れ渡ることを知らずに亡くなった Eva ですが、きっと天国で喜んでいることでしょう。
1996年、Eva の癌が発見された時はもう既に末期でした。1996年9月、Eva は激痛を和らげるために強力なモルヒネ(鎮痛剤)を打ち、松葉杖をついてライブハウスに現れ、ステージ上にあるストゥールに座って最後の演奏をしました。観客は Eva の癌のことを知っており、みんな涙を流していたそうです。そして Eva が最後に歌ったのが、「What A Wonderful World」でした。
そしてこの最後の演奏の6週間後、Eva は永眠しました。
私は子供の頃から海外に憧れ、いつか行ってみたいと思っていました。10代の頃に初めて聴いた「Over The Rainbow」が、その海外への憧れといつも繋がっていました。虹の向こうにはどんな素晴らしいものがあるのだろうといつも思っていました。虹の向こう、そして「Over The Rainbow」、「What A Wonderful World」の両方の歌に出てくる青空を見つめながら、今でも遠い向こうにはきっと何か素晴らしいものがあるのだと信じながら生きていきたいと思っています。
最後になりますが、Eva Cassidy の素晴らしさは歌声だけではなく、ギター演奏も優れています。ギター演奏は9才の時から始めたそうです。「Over The Rainbow」で奏でるギター演奏は素晴らしく、YouTube ではレッスン動画もあるほどです。下の動画がそのレッスン動画ですが、みなさん練習してみては如何でしょうか?
ライブはまず15分間ぐらいの映画が上映され、それからYoko Ono Plastic Ono Band の登場です。ヨーコさんを除くPlastic Ono Band のメンバーは7名で、その中には息子のショーンがおり、日本人のメンバーも3人含まれています。正直言って、ライブは期待以上でした。ヨーコさんのライブがここまで凄いとは思いませんでした。正に「百聞は一見に如かず」ですね。ヨーコさんが発する奇声は耳障りなものではなく、音楽と一体化した素晴らしいものでした。そして今年80才になられたというのに、体を動かしながら、そして踊りながら素晴らしくエネルギッシュなパーフォーマンスを演じるのです。そして何と言ってもPlastic Ono Band の演奏が素晴らしい!息子のショーンはバンド全体を指揮している感じで、ギター、ベース、ピアノと、曲が変わるたびに楽器も持ち替えて素晴らしい演奏をしていました。ドラムを叩く日本人女性のパワーが凄く、メンバー紹介では一番大きい歓声が上がっていました。
ポールには聞こえなかったらしく、もう一度声を掛けると振り向いてくれました。今まで何十年も写真や映像で見てきたあのポールの顔が、私の真正面にあるのです。顔のシワは深いですが、3日前に70才になったとは思えないエネルギッシュな若さを感じます。凄いオーラです。私は緊張しまくりで、Paul と呼んでいいのか、Mr McCartney と呼んでいいのか、それとも Sir Paul と呼んでいいのか分からず、私の口から発せられた言葉は、
私は10代後半から Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)の音楽が好きで、コンサートも日本、アメリカ、そしてイギリスの3カ国で行きました。メロディーはもちろんのこと、詞も素晴らしく、いつも憧れのミュージシャンでした(今でもそうです)。彼はアコースティックギターもよく弾くのですが、昔はよくGurian のギターを弾いていて、最近では Roy Smeck などの Gibson 系のギターをはじめ、いろんなアコースティックギターを弾いています。個人製作家のギターでは、Kevin Ryan と Roy McAlister のギターを弾いています。Roy McAlister のギターは、David Crosby が Jackson Browne に紹介し、Jackson がRoy McAlister にオーダーしたそうです。オーダーしたギターは、Jackson Browne がお気に入りの Gibson の Roy Smeck をモデルにしたギターでした。
Jackson Browne は、2005年にアコースティックギターとピアノだけのライブアルバム「Solo Acoustic Vol. 1」を発表しました。そしてツアーを開始し、ロンドンにも2006年の3月26日にライブを行うことが決まりました。メンバーは Jackson Browne と、旧友の David Lindley だけです。もちろん、チケットはすぐに購入しました。この二人だけのライブは、昔買ったブートレッグのレコードでは聴いたことはありましたが、実際にライブを観るのは初めてです。二人だけのライブなので、コンサート会場は劇場ということです。
そしてあるアイデアが浮かびました。もうすぐ完成する3本のギターがあるので、そのうちの2本を Jackson Browne に見せることはできないかなと。私の頭の中には、「もしかしたら」という言葉が浮かんでいました。「当たって砕けろ」だと思い、駄目元で彼のオフィシャルウェブサイトからメールを送ることにしました。内容は、自己紹介をし、もしかしたら自分が製作したギターを試奏していただけないかと。
2,3週間経っても返事は来ません。もう一度送りましたが、返信はありませんでした。オフィシャルウェブサイトは彼のマネージメントが管理しているので、私のメールが Jackson Browne に届いているかどうかは確かではありません。しかし、何もやらない後悔よりも、やって駄目で諦める方がましだと思い、あることを決行することにしました。
やはり Jackson Browne は、まだまだ雲の上の人でした。でも後悔はしていません。後になって考えてみると、こんな大それたことをしようとしたことも良い経験だったと思います。そして車に積んでいた2本のギターのうちの1本を、5か月後に James Taylor の息子、Ben Taylor が購入することになるのです。